ある夏の出来事 2 作 みなわさん 月の光にふと目を覚ました飛影は、目の前の別荘へ目をやった。 「…?」 別荘の一階は、かろうじて人が入れる場所になっていたが、二階は足の踏み場もなかった。 だから、三人は一階の暖炉の前に寝袋を広げていたはずだった。 「…なぜ二階に灯りが?」 飛影は邪眼を開いて、窓の中を確かめた。 中には人の気配もなく、煌々と電気だけが輝いていた 「……!?」 ゆっくりと飛影は視線を下げた。一階の窓の中を見るためだ。 「バカな!?」 飛影は、音もなく木から飛び降りた。 一階の暖炉には、あかあかと炎が立ち、その前に見知らぬ男女がぼう然と立っていたのだ。 扉を押し開け、用心深く中に入った飛影は、 「きさまら、何ものだ!」 と、詰問した。 二人は、おびえた様子で、身体を寄せ合った。とても、悪い人間には見えなかった。 「あなたは?」 良く通る声で、男が訊いた。 「俺は飛影だ。おまえら、ここで何をしている?ここにいた連中をいったいどうしたんだ?!」 「私達も、たった今ここにたどり着いたところです。私達夫婦は目が悪いので、夜はほとんど見 えません。ですから、森の中でこの光を見つけ、ようようたどり着いたのです」 「目の悪い二人が、こんな真夜中に、森の中でいったい何をしていたんだ?」 二人は、おろおろと顔を見合わせた。 「…実は、昼間娘がさらわれました。娘の後を追って、この森までやってきたのですが、そこで 夜になってしまったのです」 「なぜ警察に知らせない?」 たとえ向こう見ずな飛影だといえども、人間の行動に関して、それくらいの知識は持ち合わせ ている。 もちろん、雪菜がさらわれたとなれば、警察になど知らせはしまいが。 「…けいさつ?」 …こいつらは、警察という名前を知らないのか?それとも知らせることをためらっているのか……? 飛影は、いつでも攻撃に移れるように、左足を少し後ろに引いた。 …いったいこいつ等は何ものなのだ?まてよ、もし雪菜がさらわれれば、俺は警察になど届 けはしない……と言うことは? 飛影はもう一度、二人をよく観察してみた。 父親は、白いシャツに紺色の上着を着、母親は、地味な茶色の服を着ていた。二人とも小柄 で、歳もずいぶんといっている。娘と言ったが、いったい幾つぐらいなのだろう? ……妖怪だろうか?…… だが、二人から魔界の臭いはしてこない。 「おまえ達、いったいどこに住んでいるんだ?」 「はい、私どもは毎年四月に旅から帰り、夏の間、この森の先にある山に住んでいます」 「山に住んでいるのなら、なぜこの辺りのことを知らないんだ?通り道だろう」 「この地方にいるときは、あの山から出たことはありません。この森も通には通りますが、よくは 分からないのです」 二人の話の中に、幽助達の手がかりは全くない。この二人がうそを付いていないことも、飛影 には分かった。 話の筋道がつかめないことに苛立って、飛影は舌打ちをした。 それだけで、夫婦は震え上がり、飛影は溜め息をついた。 「娘をさらった奴らに、見覚えはあるのか?」 「いいえ、人間だったことだけは確かです」 「娘の特徴と、名は?」 「名前は、と言います」 「?」 「はい。特徴は、妻とよく似た格好をしていて、背はあなたくらい。それに、とても綺麗な声をして います」 飛影は、という娘を見つけることが、消えた仲間を捜す手がかりになるかもしれない と思った。 「連れ去られた方向は分かるのか?」 「はい」 父親は、飛影達が昼間登ってきた坂道を指さし、 「あの方向へ、娘は連れてゆかれました」 と言った。 相手が人間となると、飛影も迂闊に手が出せない。 しかし、何も娘一人取り戻すのに、妖力など使う必要もないだろう。 飛影は、後先考えずに二人を取り残したまま、さっさと走り出した。だいたいこういう行動が、今 までとんでもない事態を招いてきたのだが、飛影自身には、その自覚がないのだ…。 飛影の足で十分ほど走ったところに、一軒の家があった。 …昼間、ここを通ったときは見かけなかったが…? 飛影は音もなく、鉄格子のはまった窓の下に忍び寄り、中の様子をうかがった。 茶色い服を着た娘が、窓の中にいた。両手を縛られていた。 まだ少女と言っていいほど若い!本当にあの二人の子供だろうか? しかし、囚らわれている娘を見つけた以上、救い出さないわけには行かない…いや、そう言うわ けでもないな、と飛影は思った。なぜ、俺が助けなければならないのだ?… しかし、囚われの少女は、あの日の雪菜を思い出させた。 飛影は、背筋が震えるのを感じた。 そっと、他の窓を覗くと、男が四人、酒を飲みながら、猟銃の手入れをしていた。 さて、どうしてくれよう! 奴らを、こてんぱんにすることは容易い。しかし、あんまり大っぴらにやると、霊界の知るところと なる。こういうところは、飛影も成長したのだ。 そこで飛影は、を密かに救い出すことにした。 剣を抜くと、一瞬の間に鉄格子を切り裂いた。 は、大きく目を見開き、入ってきた飛影を見つめた。 「しっ!」 飛影はくちびるに指を当て、の両手を縛ったいましめを解いた。 「か?」 少女は小さく頷いた。頭のいい証拠だ。 は、素直に飛影に身を任せ、抱き上げられたときでさえ、声一つあげなかった。 の身体は、まるで羽根を抱いているように軽い。飛影は彼女を抱いたまま、夜の闇に消えた。 「あなたは?」 「そんなことは、どうでもいい」 震えるを抱いたまま、森の近くまでやってきた飛影は、一本の木の上で彼女を降ろした。目が くらむほど高い木の上で、彼女はようやく安心したと見え、くつろいだ様子で座った。 「どうして私を助けてくださったんですか?」 きれいな声で、彼女は訊いた。 「……」 無口な飛影は、細かい説明に窮して、をにらんだ。 すくみ上がったは、もう少しで木から落ちそうになった。飛影は、を抱き寄せた。彼女の髪か ら、何か得も言われぬ、甘い香りが漂ってきた。どこかで嗅いだことのある、花の香に似ていた。 「おまえの両親に頼まれた」 「母は?父も大丈夫ですか?!」 「さっき俺と別れるまではな」 確か目が悪いと言っていた。 まさか、こんな深夜に、娘を探しには行くまい…まさか、な? 「おまえ、とらえられていた間に、男を三人見なかったか?」 三人の特徴を説明しながら、人間に、どうにかされる連中でないことくらいは、分かっていたが、 ともかく、何か手がかりがあればいいと飛影は思った。 ……しかし、俺はなぜこんなに真剣に奴らを捜しているんだ?そんな義理などないはずだ!…… …まあ、あるとすれば、明日やって来る雪菜のためか…… 「だれも見かけませんでした。ごめんなさい」 「…おまえが謝る筋合いではない。泣くな」 は、緊張の糸がとけたせいか、しくしくと泣き出した。彼女の涙を、飛影はそっと指でぬぐった。 涙の粒は温かく、心のどこかで期待したように、結晶はしなかった。 …ばかな、何を期待していたのだ!?は、雪菜ではない、ましてや… 飛影は、泣き止まぬを胸に抱いた。 夜がゆっくりと過ぎていった。 もうすぐ夜が明ける。 は、飛影の腕の中で、ぐっすりと眠っていた。 華奢で、こんなにもか弱い、。 飛影は、今まで強さしか認めなかった。 しかし、今腕の中の命は、はかなさ故に美しかった。 手折られた花のようだ。 いつまでも夜が明けなければいい、いつまでも、いつまでも、こうしてを抱いていたいと、飛影 は思った。 気配は、静かにやってきた。 人間のものではない。だが、魔界のものでもない、気配。 たとえこの高い木の上にいても、決して安心だとは言えない殺気に、飛影は身体を起こした。 を抱いて、大きく飛ぶと、地面に降りた。 は声一つあげなかったが、飛影にしがみついてきた。 大きく見開いたの目が、飛影の背後に動いた。 とっさに飛影は、剣を横になぎ払いながら振り向いた。 さっき銃の手入れをしていた四人の男が、真っ二つに切れた銃をつかんで、立ちすくんでいた。 だが、その背後に…。 「くそっ!奴らが二手に別れていたなどと…」 見知らぬもう一人の男が、の両親を縛って引き立てている。 「娘は逃がしたが、シュー。親の方は見つけた、シュー。娘を探し歩いて、おれ達の手の中に転が り込んできた、シュー。こんどは、娘まで、やってきた、シュー」 どうやら、その男が、彼らのリーダーらしかった。 の両親は、やはり娘が心配で、夜の闇の中へ出て、彼らの手に落ちたに違いない。 「おまえは何ものだ?シュー」 男は薄笑いを浮かべながら、飛影を値踏みするようにながめた。 薄気味の悪い奴だ。飛影は、男の黒目しかない目を見返した。 「貴様こそ、何ものだ?」 男の目は、人間のそれではなかった。 しかし、男から魔界の気配はしない。 人間界の化け物か? 大昔から、人間界にも化け物はいた。 たとえば、ヤマタノオロチなどもそのいい例だ。 ゴーゴンもそうだ。 数え上げれば切りがない。 良かろう、相手が化け物だと分かれば容赦は要らない。 飛影は邪眼を開いた。 目の前に立っていたのは、千年を生きた大蛇だった。 大蛇は、人間の姿を捨て、本性をあらわにした。 背後で、四人の男達の絶叫が聞こえた。 「バカな人間どもだ。こんな化け物に操られるとは」 千年生きて、美しい心を持つ蛇もいる。 だがこいつは違う。どろどろとした邪悪な心が、直接飛影の心に入り込もうとした。 「ふん!」 飛影は鼻先で笑い、人間界の炎をその左手に召喚した。 人間界の炎は、あかあかと大蛇を映し出し、その身体を包んだが、さすがに千年の時を経た その鱗を焼き尽くすことはできなかった。 飛影は、三人を背にかばいながらゆっくりと間合いを取った。 飛影の背後で、縛られたままの両親が、をかばって娘の上に覆い被さった。 あれが親というものなのだ。蔵馬が命がけで人間の母を助けようとした気持ちが、分かったよう な気がした。飛影の頭に血が上った。 飛影は、黒竜を召喚した。 結果は最初から決まったようなものだった。 燃え尽きる大蛇を見ながら、飛影は呟いた。 「しまった。やつに、幽助達のことを聞き忘れた!」 残された四人の人間に、飛影は向き直った。 腰を抜かして、地面にはいつくばった男達は、命請いをしながら這って逃げようとした。 この連中は、もともと持っている邪悪な心の隙間につけ込まれたのだ。 許してやれば、また同じ事をくり返すだろう。 飛影は、彼らの潜在意識の催眠をかけ、同時に、ほんの少し妖気のかけらを打ち込んだ。こうし ておけば、彼らが心の警告に背いて森に踏み込んだとき、実際に炎が燃える。 命を奪いはしないが……間違いなく、特異体質とは呼ばれるだろう。 は両親の縄を解き、抱くように立ち上がらせた。二人は本当に目が見えないらしく、大蛇が燃え 上がるまで、周りに何があるかさえ分からなかったのだ。 自分たち親子が救われたと知ったとき、彼らは泣いて喜んだ。 そして、とんでもないことを言い出した。 「この子を、あなたの側に置いてやってください」 「い、いったい、なっ、何を!」 「聞いてください!私達は高齢で、最後の旅を全う出来るかどうか分かりません。そうなれば、こ の子は私達と一緒に死んでしまいます。どうか、この子を、あなたの側に置いてやってください」 「バカな!冗談も休み休み言え!!」 「いえ、冗談ではありません。私達の旅は過酷なのです。毎年、多くの仲間が旅の途中で命尽き ます。それを、ずっと見てきたのです。どうかお願いです、あなたになら、娘を託すことができる! どうか!!」 飛影は、を見た。 「私、生きなければ!父と母がせっかくくれた命だもの。わたし、生きなければ!」 小さな、しかし、断固とした口調で、は言った。案外、心の強い娘かもしれないと、飛影は思っ た。 「もう一度、あの木の上に抱き上げて」 はそう言った。 飛影は、を抱き上げ、木の上へ登ると、膝の上に抱いた。大きな黒い瞳が、なんの疑いもな く見返してきた。飛影はそのたおやかな肩を抱きしめた。 「」 娘は静かに歌を歌い始めた。 それは、飛影が今までに聴いたどんな歌よりも、切なく美しかった。 飛影は、意識が遠ざかるのを感じた。 黒竜を呼び出した肉体は、ただ眠りをむさぼりたいと、要求している。 冬眠などしている時間はないと、飛影は思った。彼女がなんと言おうと、いまこの手を離せば、 彼女を永遠に失ってしまいそうな気がした。 しかし、眠りは突然にやってきた。 眠ると同時に、飛影の心は、歌に同化し、彼女の声と共に空中を漂った。 ただ、羽根のように、空を舞った。 やがて、朝陽が顔に当たり、飛影はゆっくりと目覚めた。 娘の姿はどこにもなかった。 エピローグ 朝の光に、蔵馬は目を覚ました。 目覚めは心地よいものだった。 「起きたのか?」 どうやら眠れなかったらしい、桑原のだみ声が聞こえた。 蔵馬は笑いながら、窓辺に寄った。 「小鳥の鳴き声がきれいですねえ。姿が見えれば、なんて言う名前の鳥か分かるんですが」 蔵馬がそう言うと、桑原が横に並んで頸をゴキゴキと鳴らした。 「ああ痛ぇ。寝袋ってのは、身体によくないぜ。雪菜さんがいらっしゃる前に、早く片づけて、ベッ ドの用意をしなくちゃな。今日はお友達もお連れになるとおっしゃってられ…らら…痛て!」 「舌を噛んでどうするんです、言い慣れない敬語はやめて、掃除を続けましょう。その前に、あれ を片づけなきゃ」 蔵馬は、寝袋などものともせず、大鼾をかいている幽助を親指で指さした。 「きさまら!」 飛影の、耳をつんざく怒声に、幽助は飛び起きた。 「なっ、なっ何が?!」 「きさまら、いったいどこへ消え ていた!この俺が、どれだけしんぱ……」 蔵馬が面白そうに言った。 「夢でも見たんですか?飛影。それで、俺たちのことを心配してくれた?」 「だっ、誰が、きさま等の心配など…」 ………夢? 飛影は、蔵馬の一言を、反芻した。 俺が夢を見ていただと!バカな。あれは現実だった。確かに幽助達は消えていた。 「あっ!」 飛影は、とんでもないことに気づいた。 もしかしたら、消えていたのは、俺……? 俺が一人、何かの弾みで、この世界から消えていたとでも? 昼過ぎ、雪菜と蛍子、ぼたん、それに雪菜の友達が、やってきた。 まだ姿が見えないうちから、華やかな声で分かった。 「迎えに行こうぜ!」 桑原の一言で、彼らは坂道をくだった。 坂の途中で、雪菜が手を振っている。 白い花を手に持った雪菜の友達は、珍しそうにあたりをながめている。 「今日は、お友達を連れてきたの。瑠璃さんって言うのよ」 雪菜が紹介した。 「……!」 「どうしたんですか、おに…飛影さん」 「おまえ…?」 飛影は絶句した。 「あっ!きれいな鳥!」 雪菜が、梢を指さした。 きれいな青い鳥と、艶やかな茶色い羽根の鳥が、頭上で鳴いている。 「あれはオオルリという鳥ですよ。朝から、ずっと鳴いていました」 もう老鳥ですね、今年が最後の渡かな、と呟きながら、 蔵馬が説明を始めた。 「渡り鳥で、四月頃に日本へ渡ってきて子育てをするんです。鳴き声のきれいな鳥で、ほら、オス はきれいな青をしているでしょう。光線の加減で瑠璃色に見えるんです。雌は薄い茶色だけど、 可愛いんです、とっても。だから、密猟に合う」 蔵馬が手を差し出した。二羽の鳥はおそれるふうもなく、彼らの上を飛び交い、美しい声で歌を 歌った。 やがて、名残惜しげに飛び去っても、しばらくの間声だけが聞こえてきた。 「きれいな声」 蛍子がそう言うと、雪菜が笑って瑠璃を前に押し出した。 「瑠璃さんは、声楽家になるのを目指してらっしゃるんですって」 にぎやかに自己紹介がなされ、一団がその場を去っても、飛影はオオルリの消えた森の奥を見 ながらたたずんでいた。 ふと視線を感じ、振り返ると、 「……」 瑠璃が、振り返って飛影を見つめていた。 彼女が手に持ったクチナシの花から、得も言われぬ甘い香りが漂ってきた。 …あの香だ!… 何かが始まる予感がして、飛影は小さく呟いた。 「」 と。 −END− |