薄暗い部屋の鏡に、一人の男が映っていた。

女性とも思われる程、端正な顔立ちの蔵馬・・いや南野秀一の姿があった。

蔵馬はここ最近の自分の変化に戸惑っていた。

不意に現れる妖狐の姿。満月の夜に時々そうなった。

「まるで、狼男みたいだな」 自嘲気味に呟いた。





闇の中で ・ 鏡




蔵馬は、自分が人間の女を愛する事になろうとは思いもしなかった。

恋愛などするつもりも毛頭なかった。所詮妖怪と人間。ただ悲しい運命が

あるだけ。分かりきっている事をするほど、単純な頭ではないと思っていた。

しかし・・・と出会い、思いは変わった。

いくら頭で冷静になっても、心は従わない。

の笑顔、優しい声、ちょっぴり拗ねた表情、どれも全て、蔵馬の心を

とらえてやまなかった。


「妖怪だとはバレないようにしなくては。もしバレた時は・・・」


全理性をもって唯一自分に律した事だった。

しかし、それも簡単に破られてしまった。親友の恋人、蛍子がポロリと漏らした一言で

に彼が妖怪だと分かってしまった。蔵馬は彼女から自分の記憶を消すために、夢幻花を

使おうとしたが、どうしても使う事が出来なかった。愛するの記憶から、自分が消えて

しまうのが身を切られるように辛かった。

幸いな事に、意外にも彼女は気にしなかった。『感』が人より強く蔵馬が普通の人間とは違う

というのを薄々気づいていたからだ。


二人は隠し事もなく楽しい時を過ごせるようになった。しかし、それも束の間。

蔵馬は最近の体の変調に気付き、「今度こそは別れなければ・・・」と覚悟をした。




「今晩、仕事が終わったら食事でもどう?」

「あぁ、いいよ。」

からの電話を切ってから、しまった!と思った。

今日は満月の筈・・・今日は断ろうか・・・いや、満月の日に必ずそうなるとは限らない。


   に会いたい・・・


冷静な筈の蔵馬は自分の感情を抑えきれないでいた。それ程までに愛していた・・・。



さすがに外で会うのはまずい。今日は自分のマンションで会う事にした。

二人でテイクアウトの料理を買い、いつもより少しだけ高級な赤ワインを選んだ。

仕入れてきた料理を並べ、少し灯りをおとしてワインを注ぐと、ちょっとしたディナーの

出来上がり。


『かんぱい♪』


二人でグラスをならし、ワインと料理そしておしゃべりを楽しんだ。

何気ない会話。すこし紅くなった彼女が愛おしい。

カーテンの隙間から月が見えた時、蔵馬は体の中で何かが”どくん”としたのを感じた。

    
    マズいな・・・・


席を外し隣の部屋へ行き、ドアを閉めた。


   ”どくん”


血液が逆流するような感じがした。


月の光にだけで照らされた部屋。


鏡の中には、美しくも冷酷で非道な、そう、妖狐の姿が・・・。

自分でもゾッとする程、鈍く光った目。赤ワインで染まった舌が血をすすった後のようだ。

いくら彼女が妖怪である自分を受け入れてくれていても、この姿を見れば恐怖を感じるであろう。

姿だけじゃない。南野秀一の体では味わう事のない、残酷な事に対する高揚感。

この正体が彼女に知られてたら、今度ばかりは夢幻花を使うしかない。


   さて、どうしたものか・・・


頭の中で色々な思いがグルグル回り、結論が出せないでいる時、部屋のドアをノックする音がした。


「今は・・・入ってくるな・・・」


入るなと言われても、声の様子が尋常じゃない。は心配になってドアを開けた。


「どうしたの?気分でも悪いの?」



彼女が今の自分の姿を見ても誰だか分からず、見知らぬ妖怪の姿に恐怖を抱くであろう。

覚悟を決めてポケットの中に隠していた夢幻花を取り出そうとしたが。


「蔵馬・・・?蔵馬なの?」

「・・・!俺がわかるのか・・・?」

「当たり前じゃない。」

「しかし・・・。姿も声も変わってしまっているのに分かるのか?」

「当たり前でしょ。何回言わせるの?」

彼女は多少驚いた顔をしただけで普段と変わりがない様子だった。


「・・・怖くはないのか・・・?」

「どうして?」

「この姿・・・、お前が知っている優しい蔵馬(俺)とは程遠い、この姿が・・・」

「怖くないよ。」

「・・・・・・」

「だって、姿は違っても蔵馬は蔵馬じゃない。」

「だが、この姿になると残忍になる。お前に対しても理性が保てなくなり、どうなるか

 わからない。だから・・・」

「だから?」

「だから・・・俺から離れて・・・俺の事を・・・忘れて欲しい・・・。」

喉の奥から絞り出すように言った言葉。


「イヤ!どんな風になっても、あなたはあなたでしょ。私、蔵馬の事を信じてるから。

 絶対に信じてるから、何があっても側にいる!だから、そんな事言わないで!」


は蔵馬へゆっくりと近づくと、彼は少しずつ後ずさりした。

それでも一歩ずつ彼女は近づき、至近距離まで近づくとは蔵馬の身体を両手でしっかり

抱き締めた。


「蔵馬。あなたなら大丈夫。残忍になんかならないわ。だって、あなたの瞳の奥は

 いつもの蔵馬のままなんだもん。」


「・・・・・・」


蔵馬の手もそっとの身体に絡められた。


月の光の中、一つになった姿が鏡に映し出されていた。






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