運動会大作戦 2(作・紫月さん) 「――え、じゃあ幽助さんは参加するのっ!?」 仕事の帰り、耳に馴染んだ素っ頓狂な声と、よく知った名前にオレは足を止めた。 反射的にふっと声のした方を振り向いて、通りをはさんだ公園の中、ベンチに座っているを見つけた。 隣には幽助のところの女もいて、何やら鼻をつき合わせて話し込んでいる。 スーパーのビニール袋が小脇に置いてあるのを見ると、どうやら買い物の帰りらしい。 「持って帰って冷蔵庫へ入れておいてやろうか?」 そう言いかけた言葉を、オレは慌てて喉の奥へと押しやった。 「――飛影なんか、絶対ムリっ!」 の少々きつい口調の中に、いきなり自分の名前が出されたからだ。 (…何の話だ?) 強張る心に、じっとりとした汗が流れ始める。 やましいことなど何ひとつないが、なんとなく木の陰に身を潜めてオレは聞き耳を立てた。 「――無理だったんだから、しょうがないじゃない……」 苦り切ったの声が、風に乗って聞こえてきた。 「新婚旅行、って言っても無理だったの?」螢子がおずおずと聞いた。 「――まさかっ、そんなの言えるわけないじゃない!」 「え、ってことは、じゃあ普通に運動会に出てって言っただけなのぅ?」 ううん、がかぶりを振った。 螢子は、はぁ?というように不思議そうに首をかしげた。 「言わなくて、どうやって無理だって分かるのよ?」 「それは…だから冷蔵庫の扉にね、ビラをデカデカと貼ってみたり。体育祭のお知らせ〜の回覧版を わざと広げてテーブルに置いてみたり…。あ!今回はカレンダーにも赤ペンでぐ〜るぐる花丸描いた からすっごい目立ってるし。あれだけしたら気付かないわけないのに、なーんにも言ってくれないし…」 自信ありげに言い切って、は唇を尖らせた。 「………ば…か」 「え?……なに?」 「バっカじゃないの、って言ったのよっ!……ああもう、呆れて物も言えないわよ!」 螢子が手足をばたばたさせて悶える。 「いい?相手はあの飛影なのよっ?そんな生ぬるいことで分かってもらえると、まさかさん本気で思ってたの?」 「う、うん…、ダメかな?ともちょびっとだけ思ったけど」 は困った時のクセで、指で唇を押さえた。 はぁ…、螢子はあからさまにため息をついた。 「なんでちょっびっとなの…、もう…ここまで来ると腹立つよりおかしくて笑っちゃうよー。 いつもそんな分かりにくいことしてたんじゃ、そりゃあ無理に決まってるわ」 「……いつもじゃないもん。ちゃんと言ったことだってあるもん」 「ふぅんー、じゃあその調子で新婚旅行に連れてって、って今晩ちゃんと言いなさいよ」 螢子はジト目を向けて、挑発的に笑った。 「………イヤ」 「え、なんでよ?」不服そうな螢子の声にも、は頑なに首を振る。 「……なんでいっつも私なの?不公平だよ。一緒に行きたいなぁ、したいなぁって思うのは私ばっかり! 運動会だっていつ気付いてくれるかなぁ〜ってどっきどきしてるのに、無関心な態度で一気に突き放され ちゃって。嫌われてるとも思わないけど好かれてるとも思えないんだもん!飛影だってちょっと位好き な気持ちを態度で見せてくれたっていいと思うの!」 は言い切って肩を揺らした。 そんなに螢子はホッとしたように、クスッと笑って口を開いた。 「……なぁんだ、さんちゃんと分かってるじゃない。 ――好きって気持ちは目には見えないんだから伝えもしないで分かってもらおうなんて、 ホント勝手な話よねぇ。……それで?さんはちゃんと伝えてるつもりなの?自分が言って欲しい言葉を、 その口は一度だって言ったことがあるの?」 「…あ……」 震える息を吐き出して、は両手で口元を押さえた。 「大丈夫、頑張れるよ〜。この私が頑張ったんだからー」 今のはね、実は桑原くんの受け売りだったり…あはは…、そう付け足して、 螢子はの肩をぽんぽんと叩いてくしゃっと笑った。 ――思いがけない言葉の殴打に、オレは目からうろこが落ちた気分になった。 螢子のに向けての言葉は、そっくりそのままオレへの台詞だ。 誰よりもを大切に思っているのに、――それを形にするのを戸惑う厄介な性格。 照れるから、恥ずかしいから、わざわざ言わなくても解ってくれるだろう、――そんなのは勝手な甘えだ。 そんな事を考えていると、オレが先に戻っていると知らないが帰って来た。 キッチンへ向かい、買った食材を冷蔵庫へ納めはじめる。 オレはゆっくり近づいて、背中から強く抱きしめた。 「…」 「――あ、おかえり。早かったね、いつ帰ってたの?」 どんな顔を見せるかと思ったら、はすっかり平常運転の顔になっている。 これだから…分からなかったんだ、と思う。 肝心なところで、オレたちはいつもすれ違っていたのかも知れない。 ――好きな気持ちは目には見えない…… ちゃんと口に出して言わなければ、いつまで経っても伝わらない…… オレは片腕を解く。 まだ作業途中のの手を止めて冷蔵庫の扉を閉めると、例のビラが目に飛び込んだ。 「…受け付けしてきた」 「……え?」 「絶対に勝つ――」 「…………」 「イヤだと言っても…一緒に連れて行くからな」 「………」 オレはくるっとの向きを変えさせた。 頬を包み、ゆっくりと顔を覗き込んだ。 「嬉しい……」 が目を閉じるのを見届けてそっと唇を重ね………たとき、ふいに電話が鳴った。 (――くそっ、いいとこだったのに……) 受話器の向こうに蔵馬の声を聞きながら、オレは唇を噛んだ。 3話へ 『cross point』の部屋 |