雨 音 2 (作・みなわさん)
魔界の雨は、いつしか雨足を激しくしていた。 降りしきる雨に中で、飛影はを抱き上げると、岩陰に身を隠した。 「帰るか?」 「……」 は小さく首を振った。 「風邪を引くぞ」 「…引かない」 の目が、悪戯っぽく見上げている。 そういえば、俺はのことを何も知らない、と飛影は思った。 知っていることは名前と、家と、かすかに薫っている香くらいか。 過去などどうでもよかった。 たいていのことは、妖気か、霊気を感じれば分かる。 しかし、から感じるものは、生気だけだった。 確かなことは、が生きてここにいるという事だけ。 それは、最も大切なこと……だが。 少し雨が小降りになると、が嬉しそうに走り出した。 雨に溶けてしまいそうな細い身体を、ぎゅっと抱きしめたいと飛影は思った。 突然、の身体が揺らいだ。 それはたぶん、飛影にしか見えなかっただろう。 揺らいで透き通ったように見えたの身体は、すぐに元通りになった。 「?!」 飛影の身体から妖気がはじけた。 何ものかがを狙ったのなら、ただではおかない! に気づかれぬよう、飛影は辺りの気配を探った。 あらゆる気配が、雨にかき消されている。 知らない世界に入り込んだような、不思議な感覚がした。 飛影の目の前でが消えた。 飛影の手が、空を掴んだ。 が消えてから、すでに三日が過ぎていた。 飛影は、が消えた場所はもちろん、心当たりの妖怪や、自然現象などをこの三日で 調べ尽くした。 手がかりは皆無だった。 人間界の蔵馬を訪ねたとき、初めて手応えがあった。 「心当たりといえば、雨の日にだけ現れる妖怪で、きれいな娘をさらっていくのがいま したね」 「そいつだ!どこにいる?さらわれた女はどうなるんだ?!」 「さらわれた娘達がどうなるのか?俺は知らない。そいつのことだって、噂に聞いたこ とがあるくらいだからな。たぶん食べられてしまうんじゃないか」 「………!!」 剣を抜きかけた飛影を避けながら、蔵馬は、 「待て、俺が喰ったわけじゃない。聞くから答えたまでだ」 「うるさい!が喰われるはずがない!」 「だったら、こんな所で俺を切ろうとなんかしていないで、さっさと探せばいいだろう」 どこかからかうような蔵馬の表情に、飛影はかっとしたが、にらみつけながら剣をさや に戻した。 「さらわれた娘がどういう女性か知らないが、飛影と一緒にいてさらわれたのなら、た ぶん余ほど何かに気を取られていたんだな」 ずぼしを指されて、飛影は返事に詰まった。 「だけど、飛影が他の何か…にどんなに気を取られていても、何かは感じて、見ている はずだ。こういうときに役に立つのが邪眼なんだけど、その邪眼を自分に使うわけには 行かないんだろう?」 「当たり前だ…だが」 今の蔵馬の言葉に、飛影は思い出したことがあった。 あの日、から薫っていたかすかな匂いが、蔵馬の家の近くでしていた。 あれは、公園に咲いていた大輪の花の香りだった。 「公園の花?あのピンク色の大きな花ですか?」 「そうだ!」 「あれはシャクヤクといって、古くから根を薬として漢方薬に使われている花ですよ」 「あの匂いだ!」 「?さらった相手が?」 「違う!がだ!」 シャクヤクのとろけるような香を蔵馬は思い出していた。 「ちょっと待っていてください」 そう言い残して、蔵馬は玄関から出ていった。 飛影はイライラとして、鞍馬の帰りを待っていた。 蔵馬は、30分ほどして雨に濡れながら帰ってきた。 「分かりましたよ」 「何がだ!?の居場所か?!」 「いいえ、あなたが探している女性の素性です」 「の素性が分かったから、いったいどうだと言うんだ!」 「待ってください、そんなに興奮しないで」 蔵馬は、静かに話し出した。 「今から2年前、あのシャクヤクは公園の隣にあるある家の庭に生えていたのです。そ の家にはとても美しい娘さんがいて、あのシャクヤクはその娘さんが生まれた年に記念 に庭に植えられたものなんだそうです」 シャクヤクとしては、遅咲きなその花が、たぶんこの雨で花を落としてしまうだろうと、 蔵馬は考えていた。 「さっさと続きを話せ!」 「…2年前のこの時期に、その娘さんは交通事故にあった」 「死んだのか?」 「いいえ、ただ、意識が戻らないまま、今でもずっと病院のベッドで眠り続けているの だそうです」 「…?その人間と、がどういう関係があるというんだ?」 「あのシャクヤクは、が事故に遭ってから、2年の歳月をかけて公園まで根を張っ たのです」 「……」 「いま、俺はシャクヤクと話してきたんだ。何故、そんなに無理をしてまで、公園で花 を咲かせたのか」 「なぜだ?」 「あなたに気づいてもらうために」 「俺に気づいてもらうため?」 「そうです。花は言っていました。娘さんは2年前からずっと夢を見ているのだと。そ して、その夢の中で、愛する人と出会ったのだと」 「………?」 「は3日前に危篤状態に陥ったそうです。さあ早く病院に行って!」 「さっきの雨の日だけ現れる妖怪というやつは、どうしたんだ!?」 「あれはただの噂です、今回は関係なかったんですよ。だから、ここで固まったりして ないで、早く病院へ行ってください!」 「そ、そんなところへ行って、俺に何をしろと言うんだ?!」 「行けば分かります」 蔵馬の自信にあふれた声に送り出されて、半信半疑で飛影は病院へ行った。 は、3階の個室に1人で眠っていた。 枕元には、1輪のシャクヤクが生けられていて、部屋中がその香りに満ちていた。 部屋には、たった今出ていったような人の気配があった。 の家族なのだろう。 優しい気配だと飛影は思った。 ベッドの横に置かれた心電図計が、今にも途絶えそうなか弱い山を描いている。 飛影は布団の側に座り、の寝顔を見つめた。 規則正しい寝息が、少し開いた唇から聞こえてくる。 薄桃色のふっくらした形の良い唇。 今まで以上に愛おしく感じ、飛影は顔を近づけ唇にそっと触れた。 がうっすらと目を開けた。 飛影は素早く布団から離れて、何事もなかったかのような顔をした。 「飛影・・・?来てたの?オハヨウ。。。。」 「フン、何時まで寝ているつもりだ?」 「ゴメン。ちょっと、寝過ごしちゃった………ありがとう」 「な、何がだ?」 「私を目覚めさせてくれて…もっとはっきりと目覚めたいわ」 そう言うと、はゆっくりと目を閉じた。 飛影は真っ赤になりながら咳払いをし、もう一度に手をさしのべた。 「……そして、眠れる森の美女は、王子様の口づけで目を覚まし、2人は末永く結ばれ たと言うことです。おしまい」 「え〜!もう終わり?秀一伯父ちゃん、もっと読んでよ」 蔵馬は、弟の子供達を膝に抱えながら、もう一冊の絵本を手に取った。 「じゃあ、次は『美女と野獣』にしようか」 窓の外には、今日も雨音が聞こえている。 どこかで、飛影のくしゃみが聞こえてくるような気がした。 ――――おしまい――― ★ 安奈さんの第2話へ ★ 企画室へ戻る |