『いつか、此の海で』 〜第一話・序章〜


「もしもし、俺だ、飛影だ。」

「飛影っ!何処にいるんだ?連絡も全くせずに。」

飛影から通信機で躯のもとに連絡が入った。

「今、死の峡谷の入口にいる。この奥に、妙な気配を感じる。峡谷に入ると通信機は使えん。
この辺りの調査が終われば、又、連絡を入れる。」

「待て、飛影。蔵馬が今、虹の谷にいる。虹の谷から死の峡谷なら比較的近い。
蔵馬をそっちに行かせるから、それまで待っていろ。いいな。」



虹の谷から死の峡谷まで、蔵馬の足でも半日はかかる。

そんなに待っていられるか、と飛影はつぶやいた。



死の峡谷は、古くから「近づいてはいけない」と言い伝えられてきた。

理由は分からなかったが、実際、とても不気味な場所でここに近づく妖怪は殆どなく、

飛影も過去に一度だけしか来た事はなかった。

さすがの飛影も、一人で奥まで進のは危険なのは分かっているので、蔵馬が来るまでは

入口近辺だけを捜索する事にした。



魔界に変化を感じたのは数年前からだった。

何がどうだとは説明出来ないが、何かが違う。

それは、ほんの一部の高等な妖怪達にしか感じられなかったのだが、

その妙な変化が、一ヶ月前に何か大きなエネルギーに変わったのだ。

発生場所は分からなかったが、煙鬼、躯、黄泉は仲間や部下達を分散して調査にあたらせた。



飛影は峡谷入口付近だけを調査するつもりであったが、一歩峡谷に足を踏み入れるごとに

”妙な感じ”が強くなるのがわかった。



「この妙な感じ・・・まるで俺を誘ってるみたいだ・・・。この奥に何かある。」



一人で行動するのは危険だと分かってはいるが、好奇心のせいか、本能のせいか、足を止める事が

出来なかった。磁石もきかず、方向感覚もなく、一体どの方向にどれくらい進んだのか分からなかった

が、確実に”妙な感じ”に近づいている確信はあった。

その時、”妙な感じ”が飛影の体をすり抜けるような感覚があった。



「いや、俺の方が”妙な感じ”を通り抜けたようだ。何かの結界のようだが、それにしては、
すんなり通れたものだ。」



不思議に思っていると、結界の奥で突然巨大なエネルギーが爆発した。

とてつもなく大きいエネルギーで、飛んできたその小さな破片がかすっただけで、

飛影は吹き飛ばされた。何度も、何度も。



「クッ・・あんな小さなかけらがかすっただけなのに・・・何て・・威力なんだ・・」


巨大なエネルギーは怒り狂った雷神の如く暴れ回り、周囲の木々をなぎ倒していった。

飛影は逃げる間もなく、巨大な稲妻のようなエネルギーをまともに受けてしまった。


「・・・ここから・・逃げなければ・・このままでは・・やられる・・・」


遠ざかる意識の中で、飛影はかつて感じた事がないほどの恐怖を感じていた。

それは、エネルギーが体に及ぼしたダメージのせいだけではなく、何か得体の知れない物が

彼に手をこまねいている、そんな感覚を感じたからであった。



蔵馬が死の峡谷に着いたのは、躯から連絡を受けてから半日経った後だった。

だが、そこに飛影の姿はなかった。


「飛影・・まさか一人で死の峡谷に入っていたんじゃないだろうな。昔の飛影ならともかく
今の飛影が考えなしに一人で行くとは思えない。それにしても、何だ?このイヤな気配は?
まるで他人が来るのを拒んでいるみたいだ。」


蔵馬は注意深く気配を探っていると、かすかに飛影の妖力が感じられた。だがそれはとても弱く、

気を緩めると見失ってしまいそうなごく弱い妖力であった。その妖力を辿っていくと、峡谷入口

近くの川に出た。その河原でずぶ濡れの飛影を見つけ、蔵馬は慌てて駆け寄った。

傷だらけで、意識はなかったが、命に別状はなさそうだった。蔵馬は意識を取り戻させるため

あらゆる薬草を使ってみた。その甲斐あってか、ようやく意識を取り戻した飛影であったが、

怯えた目で蔵馬を見つめ、こう言った。



「・・きさまは・・誰だ?・・」






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